ADHDの特性を知る機会がないまま社会に出され、いろいろな仕事をする中で様々な挫折を味わいました。どんなことに困ったのかを回想します。
ADHDができた仕事・できなかった仕事
筆者は今まで様々な仕事に挑戦しました。覚えているものをあげると…
×居酒屋ホール/厨房
×ポスティング
△ガソリンスタンド
〇スーパーのレジ
〇スーパーの試食販売(単発)
×ピザ屋
〇テイクアウト専門店(弁当屋)
△食品工場(パン・お惣菜・菓子)
×工場(機械・住宅系)
〇店頭販売(家電、通信機器、試食)
△訪問販売
〇訪問サポート
×マルチタスクの事務(一般事務・営業事務・貿易事務・庶務)
◎シングルタスクの事務(Web事務・入力事務)
〇在宅ワーク
〇テープ起こし
〇ビデオオペレーター
〇CADオペレーター
◎塾講師(マンツーマン指導)
△塾講師(団体授業)
△受付
◎歌(結婚式場)
【先頭のマークの意味】
◎:自分に向いていて2年以上継続できた仕事
〇:それなりに勤まった仕事
△:きついけれど120%の力で擬態すれば辛うじて勤まった仕事
×:仕事が間に合わず数時間~1年以内に辞めた(辞めさせられた)仕事
あまりに仕事が続かな過ぎて思い悩んだ23歳頃、初めてメンクリでADHDの診断を受けました。
当時はADHDがなんのことか分からず、仕事中の眠気をなくすために眠気防止薬を処方されただけで、集中力の欠如・注意によるミスはなくならず根本的な解決にはなりませんでした。
親に熱望された事務職をメインに転職しつつ、あらゆる職種にも手当たり次第チャレンジしながら短期離職を繰り返しました。
1対1のコミュニケーションだと普通にできるのに、4人以上の会話だと発言や傾聴がうまくいかずチームワークを必要とする業務は厳しいと感じました。120%の力で擬態すればなんとかできると思っていたけれど、ADHD特性により支障を来し職場に迷惑をかけてしまうことも多かったと思います。
メンクリに通ってから特性(集中力が続かず疲れやすい)がほんの少しだけ分かってきた25歳以降は自分に合った職種・働き方にしたことで長く(3年以上)勤まる仕事にも出会いました。
35歳過ぎまでパソコン・ガラケーが主流の時代でした。ADHDやASDに関するインターネット情報もほとんど見当たらず生きづらさは相変わらず続きました。
【居酒屋で困ったこと】騒がしい場所だと言葉がまったく聞き取れない
10代の終わりに居酒屋でホールのバイトをしたところ、入って2日で挫折しました。
ホール内は満席でとても賑やかな中、オーダーをとりに行くと目の前のお客さんの言葉が周囲の話し声にかき消されてしまい聞き取れず何度も聞き返してしまいました。また、騒がしい場所だと自分の声が消える声質らしく(騒がしいと自分の声が通らない)、全力で発声した声も相手には届かず(口パクに思われる)まったく仕事になりませんでした。
ホールが無理と判断された翌日は厨房に回されると、今度はマルチタスクで目が回りました。盛り付けや配膳をしつつ、洗い場に積み重なったお皿・グラスの山も洗わないといけない。1時間動くとへとへとになり、テキパキ動けず足が滑って転びそうになったり、目の前の洗い物の多さでパニックになり、2日でギブアップしました。
騒がしい場所では声が通らないのは学生時代からのコンプレックスで自覚はしていたものの、まさか相手の声も聞き取れないまで支障が出るとはこの時初めて気づきました。居酒屋やゲーセンのように常に賑やかでうるさい場所ではAPD(聴覚障害)があるとコミュニケーションがとれなくなると分かりました。また、洗い物など手指を酷使する+素早い動きができないため厨房の仕事も向いていない気がしました。
【工場勤務でつらかったこと】体力・集中力がもたない
「工場なら1人で黙々と仕事ができるから発達障害に向いている」と言う人もいますが、自分は向いていませんでした。長時間の集中力・体力がもたないからです。
ADHDは飽きっぽいため単純作業の繰り返しだと集中力が長続きしません。また、流れ作業的なことは不注意優勢ADHDには向いていないと思います。短時間でないと集中力がもたず、感覚過敏があると普通の人より疲れやすいため途中でひどい眠気に襲われます。重いものを運ぶのもすぐ息切れして体力的に厳しかったです。
工場勤務で唯一良かったのは仕事中の会話が必要なく黙々と作業できたことです。ただ、休憩時間が1時間もあるのが困りました。休憩室が1か所しかない職場だと、職場のグループにとけこめなければ仕事もやりづらくなるからです。ASDも併発していると、たわいもない雑談ができず人間関係がつらくなります。休憩時だけでも1人になれるスペースがあると理想的です(が、実際にはない)。