幼少期~大人になるまで常に感覚過敏で悩まされた筆者が、感覚過敏によりつらかったことを回想して書いてみます。
小学生~中学生で起きた感覚過敏による困りごと
今思えば感覚過敏の影響だったのだろうと思える出来事は小学3~4年生の頃から始まり、毎日給食の時間が苦痛でした。
何がつらかったかというと、
1、机を班ごとに向かい合わせて食べること(視覚過敏で過緊張)
2、咀嚼音のする食材がでる日(聴覚過敏で過緊張)
3、シイタケが出る日(嗅覚過敏で嗚咽)
誰もそんなことで気にならないのだから自分の悩みを誰にも話せませんでした。
親に相談しても「そんな細かいこと気にしすぎ!」と一蹴され、1人耐え忍ぶ日々が給食の出る中学3年生まで毎日続きました。
【視覚過敏】机を向かい合わせて食べることがつらかったのはなぜ?
小中学生の頃は、たしか学期毎に班分けが強制的にされました。
給食の時間になると班ごとで机を向かい合わせにくっつけて食べるルールがあり、これがかなり苦痛でした。
班分けも仲の良い子とではなく強制的に決められたため、自分と世界線がまるで違う陽キャ達と顔を突き合わせて食事するのがとても緊張しました。陽キャ同士で楽しそうに話しながら食べる中、マジメ(と思われていた)でおとなしかった(場面緘黙で話せない)自分は過度に緊張して固まりながら無言で食べていたため、グループにうまくとけこめず居心地が悪かったことはなんとなく覚えています。
その頃から食べながら話すのが苦手で、周りの子はそれを容易にできてうらやましいと思いました。
【聴覚過敏】自分の咀嚼音を聞かれるのが恥ずかしすぎた
苦手な食材が出る日を給食の献立表で事前にチェックしていました。
チェックしたところで状況は何一つ変わらなかったものの、苦手な食材が出る日は朝から心づもりをするために確認していたように思います。気が滅入るほど苦手な食材がいくつかあり、それが出てくる日の午前中は「給食の時間どうやって乗り越えようか」と不安で考えすぎて授業が上の空でした。
当時苦手だった食材を紹介します。
キュウリ
キュウリは噛むたびシャキシャキした咀嚼音がします。
他人の咀嚼音は気にならなかったのに、自分の咀嚼音に過剰反応して心労しました。
当時は「自分の咀嚼音を人に聞かれるのはみっともないことだ」といった羞恥心(思い込み)がありました。
そのため、キュウリを噛むときに音をたてないように(まるで修行僧のように)非常にゆっくり噛んでから飲み込みました。
うまく咀嚼できないときには、声の大きいムードメーカーの子が楽しくおしゃべりして騒がしくなったタイミングを狙い急いで咀嚼して飲み込むという秘策も決行しました。
小学校高学年くらいから静かなときに自分の咀嚼音が周囲に響くのがとても恥ずかしく感じるようになり、中学生になるとそれがエスカレートしたため毎日の給食の時間がとても憂鬱でした。
キュウリの他に、大根サラダ・たくあんが出る日は朝から憂鬱で、お昼は保健室で休んで給食を回避しようか思い詰めるほど真剣に悩みました。
いつしか咀嚼音が聞かれても気にならなくなったものの、思春期の頃はなぜか咀嚼音は人に聞かれてはいけないもの(人前でゲップをするのと同等の恥)だと思い込む強迫観念が苦痛でした。
【嗅覚過敏】シイタケが出る日は朝から分かる
音の出る食材以外にもニオイのきつい食材もつらかったです。
その食材は
干しシイタケ
生シイタケも得意ではないものの、生シイタケのニオイはしないためなんとか食べられます。
なのに、給食に出てくるシイタケは必ずと言ってよいほど干しシイタケのオンパレードで、毎週どこかで罰ゲームかのように出てきました。
干しシイタケの出る日は朝からかなり憂鬱でした。1時限目には給食室から干しシイタケの強烈なニオイが教室に漂ってくるためすぐに分かりました。「干しシイタケが出るなら給食の前に保健室に逃げこみたい」と脳内で何度も考えたけれど結局できず、盛り付けられた給食は絶対に残してはいけないルールだったため、吐きそうになりながら必死で食べました。
今でも干しシイタケは食べられません。生シイタケも好んでは食べないものの生シイタケのニオイは気にならないから不思議です。
父親も食べ物の好き嫌いが激しく、ニオイにうるさく、耳が異常に良すぎて周りを不快にさせることが多々あるのを見ると、感覚過敏は父親からの遺伝が強いと思っています。
その後も感覚過敏は続いた?
高校生になると、給食はなくなりお弁当持参か購買でパンを買うようになったため、咀嚼音のする食材は意識的に避けることができました。また、お昼休憩は自由に好きな場所で食べられたため視覚過敏や聴覚過敏に悩まされることもなくなりました。
高校生活で感覚過敏に悩まされたのは朝夕の通学の時間でした。
晴れた日は自転車+電車通学、雨天はバス通学だったので、毎日通勤通学ラッシュの時間帯に公共交通機関に乗ることになりました。
ラッシュ時の公共交通機関がとてもストレスで、満員電車のときの何とも言えないカビ臭さやニオイが苦痛で、席に座るにも左右の乗客と近すぎて他人のバッグや衣類が接触するのもストレスでした。
毎朝遅刻ギリギリで1分1秒を争う命懸けの通学だったため(今思えばADHD特性の時間軸のズレ)、学校に着くと疲労困憊で午前中の座学は疲れて居眠り、学校が終わると1日の緊張から解放された安堵感から帰りの電車やバス内で安眠し、降りるべき駅で寝過ごして終点まで行き着いてから駅員さんに「お客さん、終点ですよ!」と起こされる常連客でした。
今思えば通勤通学の時間は感覚過敏があると視覚・聴覚・嗅覚がフル稼働して全神経忙しくなり気疲れするため過度に疲れがたまってしまったのだと感じます。