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ADHD(ASD)の子供の頃はどうだった?自分だけのこだわり、変なクセ、一人遊び

ADHD(ASD)の子供時代
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ADHD(ASD)の幼少期の無知とこだわり

ADHDグレー(ASD)である私は幼少期から小中高まで常に周りとの違和感を抱えながら窮屈な学校生活を送りました。子供の頃の思い出はあまり思い出せないのに、意図せず人から笑われたことや変なこだわりは自分でも印象深く今でも思い出します。

最初の違和感は幼稚園の運動会でした。

ゴールテープをきれなかった

動作はゆっくりなのになぜか走るのだけは速かった私は、徒競走でゴールまでダントツで駆け抜けるはずでした。目の前の白いゴールテープを突っ切れば1位になるはずが、その時は「ゴールテープに絶対に触ってはいけない」という思いがよぎって、ゴールテープの手前で突然走るのを止めて立ちすくんでしまいました。

ゴールテープの両端を持って待っていたお母さん方は面食らったと思います。ゴールテープ前でテンパる子(私)にお母さん達が「はやく、はやく!」と言ってくれたのに、どうすれば良いかわからずに戸惑っていると、そうこうしているうちに2番手の子に抜かされ先にゴールテープを切られてしまいました(苦笑)。

2番手の子の行動を見てようやく「ゴールテープは突っ切っても良いもの」だと理解しました。

走る前にゴールテープを切っている子を見ればゴールテープは切って良いものと推測がつくはずなのに、自分の出番が来るまでは緊張で周りが見えなくなるADHD(ASD)の特性で気づけなかったのだと思います。

幼稚園~中学にかけて友達作りはその時その時で波長の合う子とは友達になれました。女子は女子、男子は男子と遊ぶのが普通と思っていたため、男の子に話しかけられると緊張してうまく話せず、なぜか男子には敬語で返事をしていた変な子供でした。

小学生以降は男子と気軽に話せる女子は人気者や活発な女子くらいでした。男子とも緊張しないで話せる女子がうらやましく思ったものの、地味だった私は恥ずかしくて男子と一言も会話できませんでした。授業中や休み時間に男子に何か聞かれたときでさえ緊張してうまく話せない習慣がまさか高校まで続くとは思いもしませんでした(^^;)

ADHD(ASD)の小学生時代の遊びはどんなだった?

幼少期は砂遊びやジャングルジムに登って遊んだり、かけっこや鬼ごっこもしたりして同性の友達と楽しく遊びました。

小学生以降は男子に緊張しつつも女子の仲良い友達とは放課後に駄菓子を買いに行ったり公園で遊んだり、友人の家でリカちゃん人形ごっこしたり、ビックリマンシールにはまり交換したり子供らしい遊びをしました。

そんな小学校生活で、一人こっそりはまっていたこだわりの遊び(?)がありました。

  • 「息を何秒止められるか」チャレンジ
  • 「1分間高速瞬き」チャレンジ
  • 「目かくしで自転車でどこまで行けるか」チャレンジ

「息を何秒止められるか」は、小学校後半から水泳部に入っていたので、少しでも息を長く止めることでより速く泳げたらいいなと思ってした練習がいつしか一人遊びに変わっていました。授業中や登下校中も息を何秒止められるか体感で計測しました(笑)。

「1分間高速瞬き」は1分間にまばたき何回できるかを一人こっそり数えました(笑)。自宅ではもちろん、授業中(自習時間)も周りに気づかれないように掛け時計の秒針を見ながら一時期は毎日一人瞬きを練習しました。
高速瞬きは将来何の役にも立たないどころか、大人になってからもクセが抜けずたいへんでした(緊張していないときでも瞬きが多いと緊張しているように見られる、今でも瞬きの回数が普通の人より多いと思いますが高速瞬きできても何も良いことはありません(苦笑)。

「目かくしで自転車」は本当に危険なのでおすすめできませんが、後先考えずに急に思いついてやっていたため、ヒヤヒヤする場面がしょっちゅうありました。危険を顧みずに何度も目をつぶってチャレンジしました。車通りの少ない田舎の畦道を見つけてやっていたものの、電柱にぶつかりそうになったり、何度か転んで膝を怪我しました。

万が一歩いてる人にぶつかりでもしたら取り返しのつかないことになっていたかもしれないのに、当時はそこまで考えが及ばずかなり危険な一人遊びをしていたなぁと我ながらヤバかったと思います。3人の子育てで忙しい母親には構ってもらえず、一人遊びも内緒にしていたので、自転車チャレンジで転んでケガして帰ると心配されるどころか「めんどくさいことをしてくれた」と怒られたため、ちょっとの怪我だったら言わないようにしました。

もしかすると、ADHD(ASD)の兆候のある子供は変なこだわりの遊びがあるような気がします。

怪我で思い出したのですが、小さいころからよく転んでいましたが、これは不注意ADHDの特性をもつ人は大人になっても転びやすい傾向は続くと思います。子供のように大きく転ばなくても、躓いて転びそうになったり、壁にぶつかったり、机の角に足をぶつけたり、といったことは頻繁にあると思います。

ADHD(ASD)の中学生時代はどうだった?兆候はあった?

中学に入ってからも毎日忙しく授業終わりの放課後は部活、部活の後は学習塾通いで休む暇がまったくありませんでした。30年近く前は、公立中学から進学校を目指す塾が流行っており、中学まではまあまぁ勉強ができて大人しく真面目だった私は先生からの評価が高く、成績表は4~5、中学まではスポーツテストも2級か1級、校内持久走は学年で3位以内で優秀な(ふりをした)生徒でした。まさか高校に入って落ちぶれるとは露知らず…(^^;

中学に入ると小学生の時の一人遊びをしなくなったもののADHD(ASD)の片鱗は見え隠れしていました

  • 毎朝親にたたき起こされる
  • 遅刻ギリギリに家を出て全速力で走って滑り込みセーフで登校
  • 宿題はいつも締切ギリギリまで取り掛かれない
  • 座学では必ず居眠りしてしまう
  • イレギュラーな実習が苦痛
  • 学校集会など人が大勢集まる場だと過緊張で疲弊
  • 給食の時間(席の向かい合わせ)が恐怖
  • 過度な緊張から男子と会話できない
  • 家庭科の内容が恐怖

ADHDの特性である脳内多動からくる疲れやすさから授業中に眠くなるのは中学生の時からほぼ毎日でした。(小学校の頃は居眠りした記憶がないけれどもしかしたらたまに居眠りしていたかもしれない)

また、ASDの苦手な集団行動が苦痛で毎日疲れがとれなかったのも眠くなる原因だったのだろうと思います。

クラスでは班ごとに机を向かい合わせてお昼を食べるルールがあり、同じ班の男子と向かい合って食べると緊張しすぎて御飯が喉を通りませんでした。給食にキュウリや漬物が出てきた日には朝から恐怖でした。キュウリを嚙む音を聞かれるのがとても恥ずかしいと思っていて、噛む音が出ないようにゆっくり噛むように気を遣って(まるでお寺の修行僧)、他の誰かが話している騒がしいタイミングを狙って高速でキュウリを噛み飲み込んだので給食中も常に気が休まりませんでした。

人と対面したときに過度に緊張するASD(自閉スペクトラム症)の特性が出たのだろうなと思います。

いつも時間ギリギリの登校(時間軸のズレ)、宿題ギリギリ(先延ばし)、家庭科嫌い(家事苦手)は今思えばいかにもADHDの特性だなという感じです。