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ADHDを自覚したタイミングと幼少期~学生時代の記憶

ADHD(ASD)の子供時代
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ADHDの幼少期~学生時代はどんなだった?

ADHDグレー(ASD)である私は幼少期から小中高まで常に周りとの違和感を抱えていました。

  • 朝がつらい(毎日が時間ギリギリ、家を出てから常に全速力で滑り込みセーフの登校)
  • 他の子が容易にできることもできない(または時間がかかりすぎる)
  • 言葉が出てこないことが何度もある

「誰だってそんなこと普通にある、気にしすぎ」だと一蹴され、親に一切心配されることなく一人悩みを抱えながら幼少期~小中高まで辛い青春時代を送りました。

30年くらい前はまだADHDという言葉はなくて、「発達障害」というくくりだったかもしれません。ADHDグレーは見た目ではまったくわからず、小中高と普通学級に進んだため中高(特に高校)ではかなり困難を極めました。先生や周りから障害と思われることはなかったものの、授業にはまったくついていけず毎日がハードモード、当時の友人からは悪気なくよくこう言われました。

  • もしかして天然(笑)?
  • なんか面白いね(笑)
  • 日本語おかしくない(笑)?
  • 「(話すとき)手動いてるよ

今考えると、ADHD(ASD・LD)の兆候のある子供が同級生から頻繁に言われる言葉だと思います。

当時は仲良かった友人におちゃらけてからかわれているだけだと思って笑って(心では泣いて)流していたものの、自分でも「なんでいつも自分おかしいって言われるんだろう」と一人悩む日々が続きました。

ADHDについて親に相談したときの親の反応は?

高校に入ると授業にまったくついていけなくなり行くのがつらくなりました。1年の途中で母親に「勉強ついていけない。学校辞めたい!」とSOSを何度も出したものの、世間体を気にする親で、休ませてもらえることなく無理やり学校に行かせられてつらい3年間でした。ほとんどの教科が追試で赤点ギリギリ(理解してない教科はマークシートだと山勘だけで適当)、勉強しても理解できなかったなかで、英語だけが人並みにできたのが不思議でした。

ADHDは得意・不得意が極端に偏っているため、今となればまさにADHDの特性だったとわかります。

運動もボールなど器具を使った競技は下手なのに、持久走だけが速く、小中高まで長距離走で学年トップになったこともありました(卒業してからはまったく走れない。走るのが速かったのは一時期は一生懸命練習できたからで、基本的に日常生活の動作は遅いし、常に疲れていた記憶しかない。)

高校に入ってからは落ちこぼれ方が顕著で、テストは赤点ギリギリ、授業に必死でついていこうとするも頭の中はちんぷんかんぷんでまったく理解できない、毎日がハードモードでした(-_-;)

日々きつかったこととしては

  • 授業中に自分だけが居眠りして先生に起こされた(ほぼ毎日、周りは全員起きていて恥ずかしすぎた)
  • 帰りの電車やバスの中で疲れきって熟睡して気づくと終点にいた(週に2~3回)

居眠りは中学生の頃から頻繁にあって、先生の話が長くつまらないときに限って眠くなり、無意識にウトウトしました。おそらく脳内では四六時中いろいろな考えが巡っていて脳が休まることがなかったために、じっと座っていて静かな授業中に眠気がおそってきたのだろうと、今考えたらADHD特性の「脳内多動」からくる疲れが原因だったと思います。